羽左
第 5 話
羽右

「いい天気でよかったわね」

体操服姿の綾乃は肩をぐるぐる回して、ウォーミング・アップに余念がない。

確かに、空は真っ青に晴れ渡り、いかにも体育祭日和だ。

そう、今日は明光学園の体育祭。綾乃はクラス対抗リレーのアンカーに選ばれていたのだ。

一年生の僕にはちょっと想像できなかったが、明光学園の体育祭は芸能人大運動会なんて目じゃない。

なにしろ、絶対そんな番組に出演しないようなトップアイドルたちが、体操服姿でいろんな競技に汗を流すのだから、自然と応援にも力が入るというものだ。

そんなだから当然のことながら世間の注目も高く、パパラッチやカメラ小僧がアイドルのブルマ姿の写真を撮ろうと学校に潜入してくる。

そのため、学校側も厳戒体勢を敷いていて、父兄にしても全員、招待状と身分証明書の提示を求められるぐらいだった。

そんな異常な雰囲気の中でも、当のアイドルたちは全然お構いなしで競技に熱中しているのだった。

もともと競争心の強い彼女たちだけに、競技はどれも壮絶なライバル心がぶつかりあって、異常な盛り上がりを見せる。

その中にあっても、自他ともに認める負けず嫌い女王である観月唯香の活躍ぶりはすさまじかった。

あらゆる競技に顔を出して、それ相応の結果を出すのだ。

しかし、一番の見せ場のクラス対抗リレーのアンカーの座は瀬戸綾乃に奪われてしまっていた。

 唯香は顔では笑っているが、ちょっと近寄りがたい雰囲気だったりする。

といってもアンカーじゃなきゃ一番手の地位をキープしているところはさすがだ。

 バトンを手にしてスタートラインに立った唯香に全校生徒の注目が集まる。

「唯香ちゃんは勝負に出るで。一気にスタートダッシュで差をつけて目立つつもりや」

品田が予想屋のように赤鉛筆を握りながら言った。……こいつ、何者?

「確かにそれも考えられるが、観月さんの一番得意な種目は百メートル走だ。リレーの場合は二百メートル走らなきゃいけないから、後半のスタミナ切れが心配される。そのため、最初は他のランナーに合わせて力を温存しておいて、残り五十メートルでグングン差をつけて目立つつもりに違いない」

岡村が手帳に記るされたデータを見ながら分析してみせた。……こいつも何者?

それでも唯香が目立とうと思っているという読みはふたりに共通していた。もちろん、僕もその予想には賛成だ。

唯香はまわりの声援に手を振って応え、スタート位置についた。

ピストルの音が響き、各クラスの代表たちが一斉にスタートした。

スタートダッシュだ!

煽情的な音楽がレースを盛り上げる中、唯香はぶっちぎりの一番。引き締まった太股の筋肉が躍動する。

唯香に作戦なんてない。力の限り走るだけだ。その点では品田の読みが正しかったようだ。

唯香は大きく差をつけたまま、最後まで全力疾走で走りきった。

二番手は桜井美奈子だ。唯香は美奈子にバトンを手渡すと、その場に仰向けに倒れ込んで、体全体で大きく息をした。

「さすがや! 走り終わったあとまで、まわりの注目を集めようとしとる!」

品田が興奮した口調でわめく。

レースの方はというと、他の二番走者とはかなり差がある状態でバトンを受け取ったにもかかわらず美奈子は……遅い。

フォームは完璧なのだが、どうにも……遅い。

「あかん、あかん、なんで美奈子ちゃんがリレーに選ばれたんや? 黄金○ッドの敵役や。ナゾーや……」

こいつ、いったい何歳だ? なんてことはさておき、美奈子と他のランナーの差はどんどん縮まり、ついにはひとり抜かれ、ふたり抜かれ、といったところでやっとアンカーの綾乃にバトンタッチ。

しかし、これは計算され尽くした演出なのか、たんなる偶然なのか、結果的には綾乃の見せ場を作ることになったようだ。

おっとりしたルックスからは想像もできない敏捷さで、綾乃は前を走る走者との差を縮めていった。

「よっしゃ、いったれ!」

品田は興奮して声を張り上げた。

 全校生徒が注目する中、綾乃は少し首を傾げるようにしながら大きく両腕を振り、太股を高くあげて、トラックを疾走し続けた。

「ああ、なんて絵になるんだろう……」

僕は思わずため息混じりにつぶやいてしまった。それぐらい、陽の光を浴びながら走る体操服姿の綾乃は美しかった。

そして、ゴール手前でゴボウ抜き! 美しいだけじゃなくって足だって速い。天は綾乃に二物も三物も与えたようだ。

綾乃は両手をあげて胸でゴールテープを切った。明光学園は、まるでオリンピックの決勝戦のような歓声に包みこまれた。

やっぱりトップアイドルになるだけあって、綾乃は華がある。なんの変哲もない学校のグラウンドがオリンピックスタジアムに早変わりしてしまうのだから。

そして、最後にウイニングランまであるのは、やはり明光学園の校風だろうか。綾乃と唯香、そして美奈子が一緒に手を振りながらグラウンドを一周するのだった。

「ちょっと、そこのあなた、写真を撮るのをやめてもらえませんか」

沸き上がる歓声の中で、警備員の冷たい声が異質に響くのが聞こえた。

明光学園にはファンが侵入しようとしたりすることがあるので、常に警備員が巡回してるのだ。

注意された男は、超望遠レンズを取り付けた、いかにもプロ用カメラを手に、警備員を無視してシャッターを切り続けている。

「あなた、父兄の方じゃないでしょ? 招待状を見せてもらえませんか?」

「あ、ああ、招待状ね、ありますよ」

警備員からしつこく言われて、男はやっとカメラをバッグにしまい、ゴソゴソとポケットの中を掻き回しはじめた。そして、

「あれ、おかしいな」

とつぶやいたと思うと、いきなり駆け出していた。

「待ちなさい!」

と叫びながら、警備員が男のあとを追う。

その様子を目で追いながら岡村がつぶやいた。

「あれはどうやら写真誌のカメラマンのようだね」

「写真誌のカメラマン?」

「ああやって、アイドルのプライベートな写真を撮って雑誌に売り付けるんだよ。けっこういい値段で売れるらしいよ」

綾乃たちの走りに感動していたぶん、そういう大人たちの思惑がよけいに不純なもののように感じられてしまう。

カメラマンは執拗に追いかけてくる警備員を振り切りながら逃げ回り、ふとした拍子でグラウンドに飛び出してしまった。

いきなり始まった番外編に生徒たちは歓声を送った。

ウイニングランの最中だった綾乃たちは突然の闖入者に驚き、グラウンドの真ん中で肩を寄せ合った。

「どいてくれー!」

その姿が魅力的だったからかどうかは定かじゃないが、カメラマンは絶叫しながら、さっきまで自分が盗み撮りしていたアイドルたちの方に向かって走っていった。

綾乃と唯香は日頃からカメラマンを振り切ることに慣れているからか、ひらりと体をかわしたが、問題は美奈子だった。

ただひとり芸能活動をしていない美奈子は要領が悪く、悲鳴を上げながら右へ左へと逃げ回るのだが、カメラマンとの相性がいいのか悪いのか、美奈子がよける方によける方にカメラマンが動き、ついには正面衝突と相成ってしまった。

憐れ、カメラマンはフィルムを没収。美奈子はその場にうずくまったまま立ち上がろうとはしない。

綾乃たちが心配そうにのぞき込んでいるが、美奈子は首を横に振り続けている。

「だいじょうぶ?」

僕は慌てて美奈子のもとに駆け寄った。

「ちょっと足をくじいたみたい」

足首を押さえながら、美奈子は僕を見上げている。

暗におんぶしてと言われているようだが、ちょっと抵抗があるなあって思っていると、唯香が僕の肩をどんと突いた。

「ほら、ボヤボヤしてないで保健室に連れてってあげなさいよ」

「そうね、和也君におんぶしてもらったらいいわ」

綾乃までそんなことを言う。もちろん美奈子をおんぶして保健室まで運ぶことはそれほどいやではなかった。ただ、少し照れ臭いだけだ。

しかし、これ以上悩んでいるわけにはいかなかった。品田と岡村がいまにも「じゃあ俺が」と言い出しそうな雰囲気なのだ。

「わかったよ、僕の背中に」

美奈子も恥ずかしそうに頬を赤く染めながら僕の背中におぶさった

 そのまま立ち上がろうとすると、見た目よりも、ずっしりと重い。

「ごめんね相原君、重いでしょ?」

そう言われたら、「ううん、全然軽いよ」と答えるしかないじゃないか。僕はよろよろしながら立ち上がった。

綾乃たちもついてきてくれるのだろうと思っていたのに、みんなすぐに次の競技の準備に向かってしまった。

フィルムを取り上げられ、門から追い返されるカメラマンの寂しそうな背中を見ながら、僕は保健室に向かって歩き始めた。

背中に美奈子のあたたかみが感じられる。なんだか柔らかかったりもする……。

こういう場合、黙っているのもなんだか重苦しい雰囲気になる。かといって話すことといったら、さっきのリレーのことぐらいしか浮かばない。

大勢、抜かれたね。……そんなこと言えるわけはない。

「私、本当は運動神経が鈍いの

美奈子がポツリと言った。

「それなのに、どうしてだか、いつもリレーの代表に選ばれるのよ。足が速そうに見えるのかな」

やっぱり気にしているようだ。

「でも、優勝したんだからいいんじゃないかな」

「そうよね」

なんという立ち直りの速さ。思わず僕は笑ってしまった

「え? なに? 私、またなにか変なこと言った?」

美奈子が慌てて訊ねる。

「ううん、そんなことないよ」

そんな美奈子が可愛くて、その可愛い美奈子をおんぶしている幸せを噛みしめながら僕は上履きに履き替え、廊下をペタペタと歩いた。

「もう着いちゃったんだ」

保健室の扉の前まで来ると、美奈子がどうしてだか、少し寂しそうに言った。

「ありがとう。ここでいいわ。あとは歩いていけるから。相原君もまだ出場する種目があるでしょ?」

「……うん」

もうちょっとぐらい運んであげるのに、と思ったけど、そう言われたら降ろさないわけにはいかない。

美奈子を降ろしてグラウンドに向かって歩いていると、背中がやけに寒く感じた。





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