羽左 第 7 話 羽右 <3年生>

駅で待ち合わせしたときから岡村ははしゃぎっ放しだった。

「だってさあ、物心ついたころから毎年、大晦日にはCDグランプリを観てたんだぜ。それを会場で観られるんだから、これが興奮しないでいられますかってんだ、べらんめえ!」

興奮のあまり、岡村は江戸っ子になってしまっていた。

でも興奮しているのは岡村だけじゃなかった。僕も品田も、ワクワクドキドキしていて、おまけにキョロキョロしていた。

会場の日本武道館は超満員で、今年一年間の日本音楽シーンの総決算にふさわしい雰囲気だった。

「あ、あれ、作曲家の窓倉俊二だ。あの人は昔、ピンクガールの曲をほとんど全部書いてたんだぜ。あ、あれは寺内貫次郎の人……、あ、あれは……」

「わかったから、ちょっとは静かにしてくれへんか」

最前列に陣取った審査員を一々全部解説しようとする岡村を品田が制したそのとき、パッと会場中の照明が暗くなり、地響きのように歓声が沸き起こった。

「始まる。始まる……」

両手を胸の前に握り締めて、岡村が祈るように言った。

軽快な音楽が鳴って、ステージの袖からダンサーたちが飛び出して来て、ショーが始まった。

司会者による審査員の紹介などを経て、まず最初に発表されるのが新人賞だ。

新人賞にノミネートされたアイドルたちがステージに並んだ。

その中には明光学園の今年の体育祭のときにミニコンサートを開いていた女の子や、クリスマスパーティーで注目を浴びていた一年生の女の子の姿もあった。

二年前のことが頭の中に甦ってきた。

あのとき、僕と品田と岡村は、会場ではなく僕の家で三人並んでテレビ画面でCDグランプリ新人賞の発表を観ていた。

瀬戸綾乃と観月唯香の一騎討ちの様相を呈した新人賞だったが、結局軍配は綾乃にあがった。


どっちが勝っても僕たちはきっと大喜びしたことだろう。
 僕たちは同級生の女の子たちがスポットライトを浴びて全国的な注目を浴びていることに感動していたのだ。

あのときと同じように、いま新人賞にノミネートされている彼女たちの同級生たちもまた、テレビ画面に釘付けになっていることだろう。

ひとりひとりノミネート曲を歌い、最後に全員がステージに並び発表を待つ。

見ているこっちがこんなにドキドキするんだから、ステージに並んだアイドルたちはなおさらだろう。

ドラムの音が鳴る中、去年の受賞者がステージにあがって、新人賞に選ばれたアイドルの名前を読み上げた。

体育祭のミニコンサートで歌っていた彼女にスポットライトが当てられた。

会場に拍手が鳴り渡り、

「な、俺の言ったとおりだろ」

と岡村が嬉しそうに言った。

友だちや家族に抱きかかえられるようにしながら、彼女は受賞曲を歌った。その感動的な姿に、会場のあちこちで涙を流している人が見られた。

大衆賞、作曲賞、作詞賞……と次々と発表されていき、最後にCDグランプリを残すのみとなった。

「綾乃ちゃんと唯香ちゃん、今年はどっちが有利なんや?」

「そうだなあ。俺のデータによると、今年の前半は観月さんが段然リードしてるんだが、後半の瀬戸さんの追い上げはすごかったからなあ。まあ、予測不可能って感じかな」

「なんや肝腎なときには役にたたへん奴やなあ」

ふたりのくだらないやりとりを中断させたのは、「まずひとりめのノミネート曲です」という司会者の言葉だった。

僕たちが向けた視線の先に、元気いっぱい手を振りながら、満面の笑みを浮かべた観月唯香が飛び出してきた。

そして、今年大ヒットした唯香の曲が流れ出すと、会場のあちこちで観客が立ち上がり声援を送った。

僕たちは、まるで父兄が自分の子供の発表会を心配そうに見守るように、じっと見つめていた。

歌っている唯香は本当に楽しそうに見えた。こうやってみんなの注目を浴びながら歌うことこそが、彼女が生きている意味だといった様子だ。

そんな唯香を見ながら、僕は彼女が流した涙を思い出していた。

それは今年の元日のことだった。朝まで品田たちと遊んで、別れて帰る途中、僕はタクシーから降りてきた唯香とばったり会った。

そのほんの数時間前にCDグランプリを受賞したばかりだというのに、唯香は僕の胸の中で悔し涙を流した。

綾乃が辞退したためにもらえたCDグランプリなんてうれしくない、と悔し涙を流したのだった。

僕はその涙が忘れられない。

でも、今年は一騎討ちだ。

唯香のうれしそうな笑顔の陰にそんな思いがあるのを知っているのはおそらく僕だけだろう。そう思うと妙に誇らしい気分になる。

唯香のあとに数組のアイドルたちが歌ったが、会場の盛り上がりは唯香のときほどではなかった。

でも、一番最後に、またすごい盛り上がりを見せた。それはもちろん瀬戸綾乃が登場したときだった。

イントロが流れる中、ステージの中央まで進んだ綾乃は、客席に向かって深々と御辞儀をしてから歌い始めた。

綾乃は歌いながら会場を見回す。ひとりひとりに語りかけているように見える。だからだろうか、綾乃の歌声は心の奥のほうまでしっかり届くのだった。

「歌のうまさだけちゃうんやなあ。なんか綾乃ちゃんの歌は心に染みてくるんや」

品田でさえもそんな感想を抱くぐらいだから、他の人たちもきっと同じように感じているはずだ。

綾乃が歌い終わると、会場中が割れんばかりの歓声と拍手で埋め尽くされた。もちろん僕も手が痛くなるほど拍手を繰り返した。

司会者に促されて、全員がステージに並び、照明が落とされた。

ドラムが激しく打ち鳴らされて、スポットライトがステージ上を動き回る。

ノミネートされている全員が祈るように目を閉じている。その中には瀬戸綾乃と観月唯香もいる。

「発表します」という声に続いて司会者が大声で言った。

「今年のCDグランプリは『Power of love』を歌った瀬戸綾乃さんです!」

スポットライトにぽっかりと照らされた輪の中で綾乃はゆっくりと顔を上げた。戸惑ったような驚いたような表情を浮かべている。

そんな綾乃に唯香が微笑みながら抱き付いて、なにか耳元で囁いた。

唯香のことだから、きっと祝福しながら「来年は負けないからね」というようなことを言ったのだろう。

綾乃の顔に、やっと笑みが浮かんだ。しかし、それはすぐに泣き顔に変わった。

一年前に関東スポーツにゴシップ記事を書かれて以来、芸能界を引退しようと決意したり、いろんなことがあったのが頭の中をよぎったに違いない。

順風満帆なアイドル生活のように見えるが、普通の少女としての綾乃はとても苦しんでいたんだ。

受賞曲でもある『Power of love』のイントロが流れ始め、司会者が綾乃にマイクを手渡した。

綾乃は歌い始めたが、声がつまって上手く歌えない。そんな綾乃の涙を拭いてあげながら、唯香は横で一緒に歌い始めた。

「俺はいま、むちゃくちゃ感動しているぅぅ!」

岡村は顔をくしゃくしゃにしながら涙を流した。

「わいかて、めっちゃ感動してるでぇぇ!」

対抗しているわけではないだろうが、品田も岡村に負けないぐらい汚ない顔をしながら涙を流していた。

そういう僕だって、汚ない顔をしているのかどうかはわからないけど、さっきから涙が止まらない。

僕たちがあまりにも大泣きしているので、前の席の女の子たちが振り向いてあきれたような顔をした。

でも、僕は全然恥ずかしくなんかない。

いま泣かなくて、いったいいつ泣くんだ、って気がする。

ステージで歌うふたりのアイドルを見ながら、僕たちは涙を拭うのも忘れて泣き続けた。






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