羽左 第 5 話 羽右 <3年生>

早いもので、運動会も三回目だ。

一年生のときは、まるで芸能人大運動会のような状況に戸惑ったものだったが、さすがにもう慣れた。

ただ毎年、二年に在学中のアイドルのミニコンサートが行なわれるのだけは、やっぱり変な気がする。

それが明光学園らしさだといえば、そうなのかもという気はするが……。

昼食後、競技を盛り上げるための音楽とは違ったアップテンポの曲が流れ、グラウンドの端に作られたステージに可愛らしい衣装を着た女の子が登場して、まわりの生徒たちの声援に手を振って応えた。

彼女は明光学園の生徒であると同時に、現役のアイドルでもある。

何人ものアイドルが在籍する明光学園の中で体育祭のアトラクションに起用されるのは名誉なことなのだ。

彼女はミニコンサートに選ばれたことが嬉しくてしかたないといった様子で、心の底から楽しそうに歌っているが、ひょっとしたら、それは営業用の笑顔じゃないだろうか?

去年のコンサートであんなに笑顔を振りまいていた綾乃が苦悩していたと知ったいまではそんな気もしてくる。

そう、去年のミニコンサートは、瀬戸綾乃と観月唯香の共演という豪華なものだった。もちろん僕は大喜びで最前列に陣取り、声が枯れてしまうほど大騒ぎした。

でも今年はそんな気分にはなれない。

「こんな後ろの方におったら、よう見えへんやろ?」

僕と同じように校庭の隅の石段に腰を下ろして品田が言った。

「品田だって、いいのか? あの娘はお気に入りなんだろ?」

「まあな。今年の新人賞はあの娘で決まりや。でも、なにも学校であの娘の歌を聴かへんでもええわ」

僕たちは最初に明光学園の生徒になったときとは、アイドルに対する見方が確実に変わっていた。でも変わらない人間もいる。

「岡村は?」

「もちろん、カメラ片手に最前列に陣取っとる」

呆れているような、うらやましがっているような口調で品田は言った。

程なくミニコンサートが終わり、競技が再開された。

クラス対抗のリレーや百メートル走の決勝など、僕には関係ない競技が次々と行なわれた。

綾乃も唯香もスケジュールの都合で不参加だったために、僕にとっては今年の体育祭は火が消えたように寂しいものに感じられていた。

「相原君、元気ないじゃない」

一年生による棒倒しをぼんやり眺めていると、桜井美奈子が僕に声をかけてきた。

彼女もどちらかと言えば運動神経はよくない方なので、こういったイベントでは急に陰が薄くなってしまう。

一年生のときのクラス対抗リレーでの彼女の足の遅さは、いまでは学校中の伝説になりつつあったので、誰も彼女を大事な競技の代表に選ぼうと思わないのだった。

「別に元気がないわけじゃないけど……」

僕の言葉は歯切れが悪い。

夏休みのプールで美奈子を助けたときに人工呼吸をして以来、変に意識してしまっているのだ。

そんな僕とは正反対に、美奈子は自分の命を助けてくれた恩人ということもあって、僕になにかと好意的に接してくれるようになっていた。

「綾乃ちゃんがいないから、寂しいんじゃないの?」

「そ、そんなことないよ……」

「ほんとかしら?」

美奈子の疑り深い視線を受けると、僕は視線を逸らしてしまう。

「さっき綾乃ちゃんが来たのよ。仕事が終わったから、少しだけでも参加するって。いま更衣室で着替えているはずよ」

「ほんと?」

僕は反射的に顔を上げていた。目がキラキラと輝いていたに違いない。美奈子は呆れたように笑った。

「本当よ。ほら、噂をしたらなんとやら」

美奈子の視線の先に目を向けると、白い体操服に紺色のブルマを穿いた綾乃がこっちに向かって走ってきていた。うれしそうに大きく手を振っている。

僕も振り返したものだろうかどうだろうかと思っていると、両耳のそばで馬鹿でかい声が響いた。

「お〜い!」

いつの間にそこにいたのか、僕の横で品田と岡村が、綾乃に向かって大きく手を振っていた。

その様子のあまりの馬鹿さ加減に、僕は手を振るタイミングを逃してしまった。

でもそれは正解だったようだ。

綾乃は僕たちの横を擦り抜けて、次の競技のために控えている人たちの方に走って行ってしまったのだ。

 おそらく綾乃はその競技に参加することになっていたのだろう。

擦れ違う瞬間に一応は笑顔を向けてくれたが、品田と岡村は振っていた手を下ろすタイミングを逃し、そのまま大きく延びをしてみせて美奈子に笑われた。



体育祭の最後を飾るのは毎年恒例のフォークダンスだ。

競技にはあんまり熱心ではない生徒たちも、これだけは俄然盛り上がる。もちろん僕もだった。

しかも三年生の僕は、来春にはもう卒業してしまうので、フォークダンスも今年で最後なんだから盛り上がらないわけはない。

僕は冷静に綾乃の姿を目で追い続けた。

輪になって踊ったとしても、全員が綾乃と踊れるわけではない。

 ここで失敗したら、僕はもう二度と綾乃の手を握ることはできないだろう。

でも、その思いは品田や岡村などの他の生徒たちも一緒だ。

それどころか瀬戸綾乃自身が卒業してしまうのだから、一年生や二年生の男子まで全員、今年のチャンスにかけているのである。

「さあ、みなさん。男の人は女の人と、女の人は男の人と、適当に近くの人とペアになってください」

実行委員の声がマイクで増幅されて響き渡り、しんと静まり返ったグラウンドに異様に緊張した空気が漂った。
しかし、すぐにその静寂の中に、どよめきが走った。

学校中の男子生徒たちの注目を集めながら友だちと立ち話をしていた綾乃が、いきなり走り始めたのだった。

タイミングを見計らって綾乃の近くをキープしようと目論んでいた生徒たちはパニックになって右往左往したが、僕だけは違って、その場に棒立ちになってしまっていた。

どうしてかっていうと、綾乃が走って行く先に僕はいたからだ。

「和也君、踊ろ!」

僕の前まで来て立ち止まった綾乃は、僕の手をつかんでグラウンドの中央の方へと誘った。

「……ぼ、僕?」

「そうよ」
羨望の眼差しの中、僕の膝はガクガクと震え続けた。

夢じゃないのか?
でも、目の前には綾乃の笑顔がある。そして、僕の手はしっかりと綾乃の手に握られている。

グラウンドの中央に僕たちが向かい合って立つと、ちょうどタイミングよく、フォークダンスの音楽が流れ始めた。

「ほら、ぼんやりしないで」

僕は綾乃の肩に手をまわすような形で、ぎごちなく踊り始めた。

みんなが注目していたが、さすがに注目されるのには慣れているのか、綾乃は平気な顔で、それどころか心から楽しそうに踊り続けた。

本当だったら順番にパートナーがずれていくはずなんだけど、他に踊っている人がいないから僕たちは何度も何度も一緒に踊り続けた。

そのうちに僕もだんだん楽しくなってきた。だいたい、綾乃とこんなに密着して踊れるなんて、僕の人生最高の瞬間であるってことは間違いないんだから楽しまないのはもったいないじゃないか。

そんな僕たちを遠巻きに見つめていた他の生徒たちも、その楽しそうな様子に刺激されたらしく、それぞれ自分のパートナーを見つけてグラウンドにぞろぞろと出て来て踊り始めた。

「和也君、ありがとう」

目を伏せて綾乃がひとりごとのようにつぶやいた。

「え? なに? なんのこと?」

いきなりお礼を言われても、僕には思い当たることはなにもなかった。

「和也君が私の歌を聴きたいって言ってくれたから、私、また歌う決心がついたの。いままた大好きな歌を歌い続けることができてるのは、あのとき和也君が言ってくれた言葉のおかげよ」

「僕はべつに……」

「ううん、和也君のお陰なの。私、小さなころから歌が好きで、絶対歌手になるんだって思ってたの。それは私の歌で人の心を感動させたかったら。その夢が実現されているっていうのに、普通の生活ができないのがいやだなんて我が侭言ってたらだめよね。結局、また前みたいに忙しくなっちゃったけど、もう平気。私が好きで選んだ世界なんだもん」

「……そ、そう」

いつの間にか僕たちの足は止まっていた。でも、肩は抱いたままだということに気がついて僕は慌てて手を離した。

「実は今日も、これからすぐにテレビ番組の収録に行かなきゃいけないの。高校生活最後の体育祭、ちょっとしか参加できなかったけど、とっても楽しかったわ。じゃあ、またね」

綾乃はそう言うと、くるりと背中を向けて校舎の方に向かって駆け出して行った。

その先ではマネージャーらしき男の人が自分の腕時計を指で示し、急かすようになにか叫んでいた。

いま瀬戸綾乃が歌い続けているのは僕の言葉のお陰だなんて……。

まるで夢を見ていたような気分だった。僕はぼんやりと綾乃の背中を見送りながら、さっきのできごとを思い出していた。

しかし、そんな僕の夢心地は品田の飛び蹴りで掻き消されてしまった。おまけによろめいた僕を岡村がヘッドロックに捕まえてギリギリと締め上げた。

「なんでおまえだけが瀬戸さんと踊れるんだぁ? そんなことが許されていいわけはないぃ!」

僕は特に抵抗はしなかった。やっぱり僕は夢を見ていたのか、全然痛くはないのだった。






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