上着を着ていると汗ばんでしまうような気候になってきたころ、僕はコンビニエンスストアでアルバイト始めた。綾乃や唯香が忙しくしているのを見て刺激されたからだ。
もちろん彼女たちのやっていることと、コンビニのアルバイトとでは全然違うとは思ったが、僕も一度働いてみたかったのだ。
僕ももう三年生。夏休みぐらいからは、いくらなんでも受験勉強に集中しないわけにはいかない。だから、アルバイトをするにはいましかない。
バイトは週に三回、学校が終わってからすぐに駆け付ける。品出しやレジ打ちなんかが主な仕事だ。
そして、その日も僕はレジを打っていた。
お客さんが入ってくるとセンサーが感知して、「ピンポン」と音が鳴る。
本当だったらお客さんの方を向いて、「いらっしゃいませ。こんにちは」と言わなきゃいけないことになってるんだけど、忙しいとついつい顔を向けないで挨拶だけすることになってしまう。
いまもピンポンと鳴ったが、ちょうどレジの奥で袋を補充していたために僕は視線を向けなかった。
もうひとり、店内で品出しをしている店員がちゃんと挨拶するだろうと思っていたが、その声は聞こえなかった。
またサボっているのかな。しょうがないなあ、と自分のことは棚にあげて思っていると、そのバイト仲間がレジの中に駆け込んで来て、僕の背中を小突いて「おい、おい」と慌てた様子で囁いた。
「なに? どうしたんだよ?」
振り向いた僕に、その店員は顎で雑誌コーナーの方を示した。
「あれって、ひょっとして……」
「……ひょっとして?」
僕が首を伸ばして雑誌コーナーを窺うのと同時に、棚の向こうから観月唯香が顔を覗かせた。
「やあ青年、真面目に労働してるかね?」
片手をあげて、唯香はおどけたように言いながらレジの方に歩いて来た。
「どうして、ここが?」
「品田君が教えてくれたの。労働に汗を流しているから激励してきてあげてくれって。でも、だめね。ちゃんと挨拶することもできないなんて」
そう言うと唯香は僕を横目で睨んだ。
痛いところを突かれて、僕が「あうあう」言っていると、唯香はまたもとの笑顔に戻り、レジのカウンターに雑誌を置いた。
「これください」
テレビ情報誌だ。しかも、表紙は観月唯香だ。リンゴを手ににっこり微笑んでいる。
「ああ、袋はいいわ」
お金をカウンターに置いて、唯香は雑誌を手に取り、その表紙を自分の顔の横に並べて指差してみせた。
「これ私なの。応援してね」
もうひとりのアルバイト店員にそう言って、唯香は軽やかな足取りで店を出て行った。
突然のアイドルの登場にガチガチに固まってしまっていたアルバイト店員がふっと力を抜いた瞬間、唯香がまた扉から顔だけ覗かせて「『ありがとうございました』って言った?」と睨んだ。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
僕たちの声がハモるのを確認して、唯香はうんうんとうなずき「じゃあ、がんばってね」と手を振って、今度は本当に帰って行った。
「むっちゃくちゃ可愛いじゃん。あれって、本物の観月唯香だよな?」
喉が乾くのか、アルバイト店員は何度も生唾を飲み込みながら僕に確認した。
「うん。同じ学校なんだ」
僕の返事に彼は口を大きく開けたまま固まってしまった。
「だいじょうぶ?」
目の前で手をひらひら動かすと、やっと彼は意識を取り戻し、僕の肩を掴んで大きく揺さぶって興奮した口調で言った。
「相原、おまえ、なんてうらやましい学校生活を送ってるんだよぉ」
確かにそれが正常な反応だろう。立場が逆だったら僕も同じような反応をしたに違いない。
実は瀬戸綾乃も同じ学校、しかも同じクラスだよって教えてあげようかと思ったが止めておいた。
そんなことを言ったら、うらやましさのあまり殴り飛ばされそうな気がしたからだ。
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