充電器に置いてある携帯電話が鳴った。何気なく出ると、
――おい、テレビをつけてみろ。
と受話器の向こうから興奮した声が聞こえた。一瞬誰かと思ったが、どうやら岡村かららしい。
普段だったら、いきなりなに言ってんだよ、と呆れるところだが、その興奮の仕方に、僕は言われるままに部屋のテレビをつけ、岡村が言うチャンネルに合わせた。
いつもは歌番組をやっている時間だったが、テレビ画面には記者会見らしき光景が映し出されていた。
……記者会見?
記者たちに囲まれ、ストロボを浴びているのは、……瀬戸綾乃だ。
また以前の綾乃の映像を流しているのだろうか、と思ったがそんなわけはなかった。画面の隅には「緊急生中継」という文字が浮かんでいる。
「どういうことだ?」
ひとりごとのようにつぶやいた僕の言葉に、携帯電話の向こうで岡村が応えた。
――再開するんだよ。瀬戸綾乃が芸能活動を再開するんだよ。
「……再開?」
僕はテレビのヴォリュームをあげた。綾乃が記者たちに向かって「もう一度歌わせてください」と頭を下げた。
そんな綾乃に記者たちの辛辣な質問が飛ぶ。
やめたり復帰したり、身勝手だと思わないか? ちょっと売れたものだから調子に乗っているんじゃないか? 芸能界をなめているんじゃないか? 宝条瞬とは別れたのか?
あまりにきつい質問の連続に、マネージャーらしき男が会見を中止しようとしたが、それを押しとどめて、綾乃は質問する記者たちの顔をひとりひとりまっすぐに見つめ、精一杯それらの質問に答え続けた。
綾乃の真剣な眼差しに、最初批判的だった記者たちのあいだにも、徐々に復帰を歓迎するムードが漂い始めた。
「いったいどうして、芸能界に復帰しようという気になったんですか?」
女性レポーターの質問が会見場に響き、その場を静寂が支配した。その静寂の中に、一言一言噛みしめるようにして話す綾乃の声が静かに響いた。
「私は……私はただ歌うことが好きで、歌手になりたいと子供のころからずっと思っていました。でも、その夢が叶った途端、私はそれ以外の楽しいこと――学校生活や、友だちとの楽しい時間とか、思春期の女の子らしい恋愛とか、そういったものをすべて犠牲にしないといけないんだということに気がついたんです。
私生活までみんなに注目されるのは、とてもつらいことでした。だから、……だから私は逃げ出してしまったんです。普通の女の子に戻りたくて……。でも、やめてみて、よくわかりました。歌を歌っていない私は、抜け殻みたいなものなんです。
私は歌が大好きなんです。それを私に気づかせてくれたのは学校の友だちでした。その人は私に、落ち込んだときなんかに私の歌を聞くと、また頑張ろうって気になる、私の歌声が勇気を与えてくれるんだ、って言ってくれたんです。
……嬉しかった。そんなふうに言われて、私はとても嬉しかったんです。そして、また歌いたい。私の歌を聴きたいと思ってくれている人がいてくれるなら、私は他のことを全部犠牲にしてでも歌い続けたい、と思うようになったんです。
おねがいです。もう一回、私に歌わせてください」
綾乃は深々と頭をさげた。記者会見場はシンと静まり返った。拍手こそ起こらなかったが、記者たちはみんな神妙な顔をしていた。
そんな光景をテレビのこちら側から見ながら、僕は感動していた。
――おい、聞いたか? 瀬戸さんにあんなこと言ったのって誰だと思う?
携帯電話の向こうから、岡村の声が聞こえた。それは僕だ、という言葉が喉まで出掛かったが飲み込んだ。
綾乃が僕の言葉で、もう一回歌いたいと思うようになったなんて……。
自分の言葉の重さに、僕は体が震えてくるような思いだった。
*
綾乃の復帰を待ち詫びていたのは僕だけじゃなかった。
彼女の復帰第一弾のCDは予約だけで百万枚を超えた。
そして、また綾乃は芸能生活と学校生活の両立という忙しい生活に戻ってしまい、僕が彼女と話をする機会もめっきり減ってしまった。
それは寂しいことだったが、歌をやめていたときとは違って、学校で見かけるとき、綾乃はまた、まぶしいほどに光り輝いているのだった。
やっぱり彼女は歌っているのが正解なんだ、という気がした。
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