羽左 第 1 話 羽右 <3年生>

クラス替えは学校生活の中では一番重要なものじゃないだろうか。これひとつで、そのあとの一年間が薔薇色になるか灰色になるか、という瀬戸際なのだ。

そして、僕の今年はピンク色ぐらいにはなれたんじゃないだろうか。観月唯香とは違うクラスになったものの、瀬戸綾乃とは同じクラスになれたのだから。

明光学園という、アイドルと一緒に青春を送れる一種特別な時間の残り一年間を、僕は瀬戸綾乃と一緒に過ごすことができるのだ。これは冷静に考えるとすごいことだ。

でも、厳密に言うと、いまの綾乃はアイドルではなかった。去年の暮れから無期限の活動休止状態で、CDのリリースもドラマ出演もなくなっていた。

ただ、ワイドショーでは、いまでも連日のように綾乃の話題が取り上げられていたが、そのテレビ画面に映し出される彼女の顔に、笑みはなかった。

そして、大方の芸能レポーターたちの予想によると、新学年の始まりとともに芸能活動を再開するんじゃないかとも言われていたが、結局なんの動きもないまま、僕たちは三年生に進級した。

ざわついていた教室内が急に静かになった。綾乃が入ってきたのだ。

彼女は以前のように遅刻と早退を繰り返すこともなく、毎日ちゃんと時間通りに登校して、放課後も友だちと一緒にファーストフードの店で無駄話をしてたりして、普通の女子高生として生活していた。

「おはよう」

綾乃は誰にともなく挨拶をして、自分の席に座った。

 その表情は特に暗いわけでもなかったが、どうも声を掛けづらいものがあった。

現に、同じクラスになってもう一週間以上が過ぎようとしているのに、僕はまだ挨拶を交わした程度だった。

「なんか、綾乃ちゃん、輝きがなくなってしまったような気がするわ」

僕のすぐ横で、ひとりごとのように桜井美奈子が言った。

美奈子とは結局、三年間ずっと同じクラスになった。

 そのせいか、世話好きな彼女は、僕にとってはどこかお姉さんのような感じになってしまっていた。そういうと美奈子は怒るけど……。

「ほんまや。以前は、まぶしくてまともに見られへんぐらいやったのにな」

「このまま錆びついてしまうのは惜しいよなあ。瀬戸さんは、日本を代表するスターになる素質が充分あるのに……」

品田と岡村もそれぞれ感想を口にした。

このふたりもまたまた同じクラスなのである。まさに腐れ縁。僕の将来を台無しにしようという学校側の陰謀が感じられる。

とまあ彼らも口々に噂話はするんだけど、直接綾乃と話をするのは気が引けるみたいだ。

そんなだから、あの関東スポーツの記事の真相を訊ねるなんて、誰もできなかった。もちろん綾乃が自分から話そうとすることもなかった。

どうもその辺が引っ掛かっていて、僕は綾乃に話し掛けることができないのだ。話し掛ければ、どうしてもその話題が意識にのぼるに違いない、という気がして。

だけど、思いがけず僕たちはふたりっきりになる機会を得てしまった。先生に言われてゴミを焼却炉まで運ぶ役目を、なぜだか僕と綾乃に与えられたのだった。

大きなゴミ箱をふたりで両側から持って僕たちは焼却炉に向かった。

 下履きに履き替えて、校庭の端まで行かなきゃいけないのでかなり遠い。そのあいだ、ずっと黙り込んでいるのも変なもんだ。

僕はとにかく沈黙をなんとかしたくて口を開いた。そしたら、やっぱり心配していた通り、あの話題に触れてしまっていた。それも、いきなり。ストレートに。

「ねえ綾乃さん、もう芸能活動はやめちゃうの?」

唐突に出た僕の問い掛けに、綾乃はハッとしたように顔をあげた。

「……うん。もう芸能界がいやになっちゃったんだ、私。どこに行っても注目されて、アイドル・瀬戸綾乃を演じ続けなきゃならない。そんな生活がいやになっちゃったの」

綾乃はごまかそうとしないで真剣に答えてくれる。

「それって、やっぱり、あの関東スポーツの記事が影響しているのかな?」

「……訊きにくいことをズバッと訊くのね」

綾乃は困ったなあというように可愛い顔をしかめてみせた。

「ごめん」

「いいのよ。レポーターの人たちは何度も何度もそのことを質問してきたけど、友だちでそのことを訊ねてくれた人はいなかったわ。だから、本当のことを言えなかった。本当は誰かに話したかったんだけど……」

「僕は聞きたいよ。綾乃さんの本当の気持ちが聞きたいよ。どうしてなのか……」

「ありがとう。あの日、クリスマスパーティーの最中に、私が携帯電話で呼び出されたのは覚えてる?」
「うん。あれはやっぱり宝条からの電話だったの?」

「ううん、違うわ。マネージャーからよ。ドラマで撮り直しのシーンが出ちゃって、その日の夜のうちに撮影してしまわないと、オンエアに間に合わないって言われて……。普段学校行事にもあんまり参加できないぶん、せっかくみんなと楽しく過ごせてたんで、本当だったら行きたくなかったんだけど、そんな我が侭が許されるわけがなくて……」

「じゃあ、宝条とは?」

「偶然よ。……偶然、会ったの。写真を撮られたのは、本当はドラマの撮影をしているスタジオのすぐ近くだったの。宝条君もクリスマスパーティーにも出ないで仕事をしてて、その帰りだったわけ」

明光学園の生徒なんだから、宝条だってクリスマスパーティーには参加資格があったはずだ。

 女の子たちはきっと宝条を誘っていたに違いない。でも彼は仕事があったから参加できなかった、というわけか。

「ちょっと挨拶して、『いまから撮り直しに行かないといけないの』って話した途端、どういうわけか涙が込み上げてきちゃったの」

そう言いながら、綾乃は前を向いたまま照れ臭そうに笑った。

「子供の頃から、私はずっと歌手になりたいと思っていたわ。その甲斐あって夢は叶ったけど、代償として普通の楽しい学園生活を手放さなければならないなんて……。私だって、みんなと同じように毎日学校へ通いたいのに……。それはたぶん、宝条君も同じなんだと思うの。だからこそあのとき、宝条君の顔を見ていたら私の感情の堰が壊れてしまったような気がするんだけど……」

宝条はそんな綾乃を優しく慰めた。しかし、その瞬間を関東スポーツのカメラマンが写真に収め、おもしろおかしい記事を捏造したのだ。

そのことを知ったとき、綾乃はもうこのままアイドルという仕事を続けていこうという気持ちを失ってしまったのだろう。

その気持ちはなんとなくわかるような気がする。だけど……。

「だけどさ……」

「え?」

綾乃の足が止まり、僕も立ち止まった。

「だけど、僕から見たら、綾乃さんはうらやましいよ」

「……うらやましい?」

「だってさぁ、夢があってさ、それに向かって努力してさ、その夢を実現していたわけでしょ? こんなこと言うのは恥ずかしいんだけど、僕なんか特に夢らしい夢なんてないし、ただ毎日なんとなく過ごしているだけでさぁ……」

綾乃や唯香はアイドル歌手になるという夢を抱き、それを実現していたし、桜井美奈子もアナウンサーを目指して頑張って勉強している。

そういうのって、うらやましい。うらやましがっているのは、ちょっと情けないけど……。

「まあ、僕のことはどうでもいいんだ。そんなことより、綾乃さんの歌を聴きたがっている人が大勢いるってことが大事なんじゃないかな。綾乃さんが歌いたいと思っていたのと同じように、いま、みんなは綾乃さんの歌を聴きたいと思っているんだよ。僕だって、落ち込んだときなんかには、綾乃さんの歌を聴くとまた頑張ろうって気になるんだ。綾乃さんの歌声が、僕に勇気を与えてくれるんだ、。だから、そんな、引退するなんて言わないでよ」

いつの間にか、僕は強い口調でそう言っていた。

偉そうに言える立場じゃないんだけど、でも僕は瀬戸綾乃のデビュー当時からのファンで、彼女の歌声を誰よりも愛しているという思いがあった。

だから、綾乃には引退してほしくなかった。

「……私の歌声が和也君に勇気を与えている?」

綾乃は顔いっぱいに戸惑いを浮かべて、噛みしめるようにそう言い、僕は黙ってうなずいた。

僕たちはゴミ箱を両側から持ちながら校庭の真ん中で見つめ合っていた。






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