毎年十二月の終わりに明光学園の有志によって催されているクリスマスパーティーに僕は今年初めて参加した。
だいたい全学年通して、百人前後が参加する学校非公認のイベントだが、都内のクラブを借りきって立食パーティー形式で行なわれるという本格的なものだった。
ただちょっと会費が高くて去年は敬遠したんだけど、噂に聞くところによるとかなり盛り上がったというので、今年はなんとか小遣いをやり繰りして参加したのだった。
「なんか業界人になったみたいやあ」
「いや、本当の業界人のパーティーはこんなもんじゃないよ」
「ほんまか? おまえ、業界人のパーティーに出たことあるんか?」
「出たことはないけど……」
「アホらし」
という会話が隣で繰り広げられていることからもわかるように、小遣いをやりくりしたのは僕だけじゃないのだった。
しかも、このふたり、慣れないスーツ姿で、見るからに頭が悪そうだから、業界っぽさも完全に打ち消されてしまう。
そういう僕も明らかにスーツに着られているといった風情なので、偉そうなことは言えないんだけど……。
でも、他の人たち、特に本物の業界人であるアイドルの娘たちはやっぱり違う。ドレスやなんかも着慣れているのだ。
まるで日本アカデミーの発表会場に迷いこんでしまったような気がして、その場違いさ加減に、僕たちはコーラの入ったグラスを手に壁の花になっていた。
そんな僕たちの目の前が、さらにパーッと明かるくなった、ような気がした。
「あ、あれは……」
僕たちは一斉にため息をついた。その視線の先には瀬戸綾乃の姿があった。
制服のときの綾乃とは全然違う。かといってステージで歌っているときの綾乃とも違う。
大人っぽいドレスに身を包んだ綾乃は、まるで別世界から来た異邦人のように美しかった。
「メリークリスマス」
少し照れたように言う綾乃に、僕たちは一斉に「メリークリスマス」を連呼した。
「うふッ、あいかわらずね」
おかしそうに笑った綾乃になにか言い返そうと思ったが、綾乃はすぐに他の同級生たちに囲まれてしまい、僕たちはそれを遠くからただ見守る形になってしまった。
それは残念だったが、みんなと談笑している綾乃を見ているだけで僕は幸せな気分だった。
「綾乃ちゃん、楽しそうやなあ」
「ほんとだなあ。最近、以前にも増してスケジュールが苛酷になってきてて、学校にもあんまり出て来られなくなってるから、こういう時間は貴重なんだろうなあ」
たしかに品田や岡村が言うとおりだ。最近の綾乃は少し疲れ気味で、たまにテレビの生放送なんかでも、後ろの雛段でぼんやりしていることが多くなっていた。
でも、いまは違う、綾乃はケラケラと笑い、心の底から楽しそうにしていた。
「イッツ、ショータイム!」
不意に会場にマイクの声が響き、ステージの方がにぎやかになった。
会場の端の方にあるちょっとしたステージに、楽器を抱えた男女が数人、ゾロゾロと出てきて、いきなり演奏を始めた。
たぶん三年生だろう、みんな学校で何度も見掛けた顔ばかりだ。
「そういえばあの人たち、バンドで再デビューするんだったっけ。デビューしても売れないアイドルは、あの手この手といろんなアイディアで売り出そうとするんだから大変だよなあ。……ま、一応メモしとこう」
訊ねもしないのに岡村が説明してくれたので、状況はよくわかった。売れないアイドルか……。
でも、演奏を聴く限り、ノリもよくて、なかなかいいような気もするんだけど、そう簡単にはいかないみたいだ。
芸能界は僕が思っているよりもずっと厳しいのだろう。
ぼんやり突っ立って演奏を聴いていると、視界の隅を綾乃がよぎった。同級生たちとの会話が一段落したので、なにか食べ物を取ろうとテーブルに近づいたのだ。
運よく、まわりには誰もいない。チャンスだ。
僕は自分でも驚く積極さを見せて、とっさに早足で綾乃に近づいた。
「楽しそうだね」
「楽しそうなんじゃなくて、楽しいのよ」
振り返った綾乃は、にっこり微笑んでみせた。ただそれだけで僕の心臓は破裂しそうになり、もう言葉は出て来ない。
それなのに綾乃はピザを頬張りながら、次の話題を待つように僕を見つめている。
ああ、どうしよう? なにか話さなきゃ。
焦っている僕のすぐ近くで携帯の着信音が鳴った。
それと同時に、一斉にみんな自分の携帯を取り出して、ああ、俺じゃない、私じゃない、とまたスーツの内ポケットやカバンの中にしまった。
みんな携帯持ってんだなあ、と感心していると、いつの間にか着信音は消えていた。
そして、ひとりだけ携帯電話を耳に当てたままの女の子がいた。それは瀬戸綾乃だった。
綾乃は僕に背を向けて、携帯電話に向かって小声でなにか囁いていた。言い争いをしているようだ。
いつも明かるい綾乃からはちょっと想像できない険悪な空気が感じられた。
携帯電話を切って振り向いた綾乃の顔は暗く曇っていた。綾乃のそんな顔は見たことがない。誰からだったの? とはとても訊けない雰囲気だ。
「ごめんね、私、行かなくっちゃ」
「行くって、さっき来たばかりじゃないか」
とっさに出た僕の言葉に綾乃は暗い瞳を向けただけで、結局、無言のまま出口に向かって足早に立ち去ってしまった。
呆然と綾乃の後ろ姿を見送っている僕の両脇に品田と岡村が挟むように立った。
「なんか、わけありっぽい雰囲気やなあ」
「ひょっとしたら男からだったんじゃないか」
こいつらは僕の心を逆撫でするようなことばかり言う。
たとえ男からだったとしても、僕になにができるっていうんだ? なにもできはしない。相手は瀬戸綾乃――国民的なアイドルなんだから……。
* * *
翌日、終業式に出席するために学校に行くと、校門の前にテレビのレポーターや雑誌記者たちが大勢押しかけてきていた。
明光学園には芸能人が大勢在籍しているので、パパラッチやカメラ小僧たちが登校時間にうろついていたりすることはあったが、こんなふうにテレビカメラがズラーッと並ぶことは、いままでにはなかった。
少なくとも、僕が入学してからは、一度もない。
何事かと思ったが、確かめる勇気もなく、僕は彼らの前を通り過ぎて教室に入った。
こういうときに頼りになるのは事情通の岡村だ。そう思うのはみんな同じようで、岡村はもうすでにクラスメートたちに取り囲まれていた。
僕は机の上にカバンを置く時間も惜しんで、急いで岡村の方に駆け寄った。
あのレポーターたちはいったいなんなんだ、と訊ねようとすると、それより先に岡村は僕を見つけて大声を張り上げた。
「大変なことになってしまったんだよ!」
全員が僕の方に注目した。どういうわけか、僕がどんな反応を示すのか期待しているといった感じだ。
「……大変なことって?」
「瀬戸綾乃が関東スポーツに撮られちゃったんだよぉ!」
そう言う岡村は涙目になっている。
なんだか大変なことが起こったのだということはわかったが、僕には岡村の言っている言葉の意味が理解できなかった。というより脳が理解したがらないといった感じだ。
「……関東スポーツに撮られた? ……綾乃さんが?」
僕の問い掛けに岡村は黙ってうなずいた。しかし、いったいなにを撮られたっていうんだ? わけもわからずに僕の頭は混乱していった。
「撮られたって、なにを?」
岡村は僕の鈍さにあきれたようにため息をついた。
「関東スポーツに撮られたって言ってるんだから、だいたいわかるだろ。男との密会現場だよ」
男との密会……男との密会……男との密会……。
僕の頭の中に岡村の言葉が何度も何度もこだました。
「嘘だろ……」
「残念ながら、今日発売の関東スポーツに瀬戸綾乃の記事が出ているのは本当さ」
芸能界のゴシップ記事にはそれなりに興味はあった。写真週刊誌やワイドショーなんかもけっこうチェックしている。
でもそれは、遠い世界の出来事だったから無責任に楽しむことができたんだ。でも、今回ばかりはちょっと違う。
綾乃は僕と同じ学校に通う女の子で、そして、僕は彼女のことを……。
「じゃ……じゃあ、相手は誰なんだ?」
「それが……」
岡村は言いにくそうに頭を掻いた。
「隠さないで言えよ。どうせ、すぐにわかるんだから」
「そうだよな。それがさあ……宝条瞬なんだよ」
「そ、そんな……嘘だろ、そんなこと……」
身近な存在の綾乃が、これまた身近な存在――同じ学校の生徒である宝条瞬と密会していたところを写真に撮られたなんて……。
僕は一瞬、目の前が真っ暗になってしまった。
その暗闇の中にキラリと存在感を誇示しているものがあった。それは今日発売の関東スポーツだった。
〈瀬戸綾乃が深夜の親密デート! クリスマスイブに綾乃が一緒に過ごした男〉
という見出しが踊っている。
誰かが朝、来るときに買ってきたのだろう。それは恐らく岡村に違いない。
「これを見たら信じるしかないだろう」
そう言って岡村は親切に新聞を僕に手渡してくれた。
その一面には、綾乃が宝条と寄り添うようにしている写真が大きく載せられていた。
たしかにふたりはかなり親密そうに見えるし、よく見ると綾乃が泣いているようにも見える。
でも、クリスマスイブの深夜といえば昨日の夜だ。昨夜は、僕たちはクリスマスパーティーで一緒に過ごしていたはずだ。
そう、綾乃はとても楽しそうにしていた。そして、綾乃の携帯に電話がかかってきて、彼女は先にパーティーから帰った。
ひょっとして、あの電話の相手が宝条だったのだろうか……。だったとしたらどうだっていうんだ?
綾乃がもし宝条と付き合っていたとしても、それは綾乃の自由だ。僕にはどうすることもできないじゃないか。
でも、あのとき――電話を切ったあとの綾乃の暗い瞳が僕の記憶の中に甦ってきて、心の奥がズキズキと痛み始めるのだった。
* * *
結局その日、綾乃は登校して来なかった。それどころか綾乃はマスコミの前からも、ぷっつりと姿を消してしまった。
そして、《瀬戸綾乃失踪!》という見出しが新聞誌面を賑わせたのは、その翌日のことだった
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