通学時間の電車の中は、とてもいい匂いがする。それは多分、この沿線は女子生徒の割合が多いから。シャンプーとかコロンとかの匂いだ。
しかも、最近はみんなスカートが短いし、痴漢をしたいと思う男の気持ちもわからないことはない。もちろん、僕はそんなことはしないけど……。
前日に岡村たちとちょうどそんなことを話していたためか、学校へ向かう電車の中で、僕はついつい、変なことをしているヤツはいないかと無意識のうちに視線を巡らせていた。
そうしたら、なんと、いたのである。というか、ドア付近に外を向いて立っている女子高生の背後にピッタリとくっついているサラリーマンらしき男の様子がなんだかそれっぽいのだ。
そんなにギューギュー詰めというわけでもないのに、体全体で女の子をドアに押しつけるようにしている。
よく見ると、女の子もときどき男を振り払おうと体をくねらせているようにも見える。
気がつかなきゃよかった。自慢じゃないが僕は腕力には自信がない。正義感はほどほどに持っているものの、恐怖心もまた人並には持っているのだった。
……どうしたものだろうか?
このまま助けなければ、一日中気になって、罪悪感から夜中にうなされるかもしれない。
だけど、下手に注意して、逆ギレされてナイフで刺されたりしたらいやだし……。
僕が迷っていると、女の子の肩が小刻みに震え始めた。泣いているようだ。それに、よく見るとその娘は明光学園の制服を着ている。
ひょっとして知っている娘かもしれない、と思って首を伸ばして覗いて見ると、それは知ってるどころか、すごくよく知っている女の子――幼なじみの双葉理保だった。
家が近かったので子供の頃からよく一緒に遊んでいて、彼女も明光学園に入学したので、母親なんかには「このまま一生連れ添ったらどう?」なんて冷やかされたりしていたぐらいだ。
でも、理保が明光学園に入学したのには、ちゃんとした理由がある。
彼女は小学校のころから雑誌や広告のモデルをやるようになっていて、そろそろ本格的に芸能活動を始めようと考えたために、芸能コースのある明光学園を選んだのだ。
その成果か理保は、最近では雑誌のグラビアなんかによく登場するようになり、ときどきテレビなんかでFカップアイドルなんて紹介されるようになっていた。
つい先週号の週刊プレイガールでの巻頭グラビア――理保の水着姿が僕の頭の中に甦ってきた。まったく絵に描いたようなナイスバディーだ。
って、こんなことを考えている場合ではない。いま、理保は痴漢にあっているのだ。
しかも、痴漢の手は全国の読者の目を釘付けにしたあの豊満な胸にまわされているじゃないか。
チキショー!
なんか、悔しい。これは助けないわけにはいかないだろう。
「……お、おい。なにやってるんだよ」
僕は思いきって声をかけてみた。
少し上ずった声になってしまったが、それでも痴漢にはやましい思いがあったからか、飛び上がらんばかりに反応して慌てて手を下ろした。
おい、次の駅で降りろ! と胸倉をつかんで二、三発ボディーにパンチを叩きこんで……と一応は考えたがやめておいた。僕のキャラじゃない。
でも、「あの人、痴漢なのかな……」というヒソヒソ声が車内のあちこちから起こり、いたたまれなくなった痴漢は次の駅で降りていった。
「ありがとう、和也君」
痴漢が降りたのを確認してから、理保は制服の乱れを気にしながら僕の方に向き直った。
「ううん、いいんだよ」
と言いながらも僕の膝は、まだガクガク震えていた。
しかし、そんなことよりも、ちょっと距離が近すぎるのが気になった。混み合った電車の中、僕と理保はほとんど鼻を突き合わせるような状態だったのだ。
昔は痩せっぽちで小柄な女の子だったのに、いまの理保は、もう全然違ってて、すごく魅力的な女の子になっていた。心臓がドキドキする。
「大きくなったよね」
思わずつぶやいてしまった言葉に、理保はポッと頬を赤らめた。
そんなつもりではなかったんだけど、言葉の選び方とタイミングが悪かったみたいだ。
「私、胸が大きいから、よく痴漢にあうの。もう、いやんなっちゃう」
「で、でも、あれじゃん、……最近はグラビアとかいっぱい出てて、すごい人気みたいじゃないか」
理保の顔が少し明かるくなった。
「最初は人前で水着になるのは絶対にいやだったの。でも、最近は、この大きな胸があるからみんなに注目してもらえるんだって思うようになってきて……。タレントにとっては武器よね」
そう言って、理保は笑った。そのとき、周りからコソコソと囁き合う声が聞こえてきた。
今度は痴漢の話じゃなくて、理保についてのヒソヒソ話だった。みんな理保の顔に見覚えがあることに気がついたらしい。
さすがに名前まで知っている人はいないようだったが、僕は少し誇らしい気持ちになった。
自然と顔がにやけてくる。そりゃそうだろう、痴漢を撃退して、おまけに芸能人の知り合いということで周りから一目置かれて、さらには双葉理保というグラビアアイドルと体を密着させているんだから。
このまま駅に着かないでいてくれたらと密かに思ったけど、電車はすぐに駅についてしまったのは言うまでもない。
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