羽左 第 6 話 羽右 <2年生>

岡村は芸能情報に通じているだけじゃなくって、なんらかのコネがあるらしく、ときどき映画の試写会のチケットなんかをもらってくることがあった。

そんなとき、大抵は僕と品田がお共することになる。結局、友だちが少ないのだ。僕も岡村のことは言えないけど……。

そして、今日も僕たちは岡村からチケットをもらって、『あゝ、小麦峠』の試写会に来ていた。

ロードショーよりも試写会の方がおいしいことは多い。一番おいしい点は舞台挨拶があるという点だ。

今日も、主なキャストが挨拶のためにステージにあがり、見所なんかを一言ずつ述べていった。

その真ん中に立っている美少女に見覚えがあった。といってもテレビや映画で見たわけじゃない。

「あれ? あの娘、学校で見たことあるぞ」

「なんだ、いまごろそんなこと言ってんの? いっこ下の天城未優じゃないか」

岡村が馬鹿にしきった声で囁いた。世間の男がみんな、自分と同じようにアイドルに詳しいと思っているのだ。

「……天城未優? それってひょっとして、日本最後の映画スターって言われている、あの天城龍造の娘だったりする?」

「正解。納得いったなら、あとは映画に集中しようぜ。かなりいいできだって噂だしな」

そう言うと、岡村は真剣な顔でスクリーンに視線を向けた。それと同時に会場の明かりが暗くなって上映が始まった。



映画が終わって明かりがついたが、僕たちはみんな顔を伏せて黙り込んでいた。感動して泣いてしまっていたのだ。

 映画の内容は、明治時代の製糸工場に住み込みで働く少女たちの過酷な青春を描いたもので、重いテーマながらも、主演の天城未優のピュアな存在が観る者の心を打つのだった。

 たいして期待もせずに、タダだからと思って何気なく観てたからよけいに、思いがけない傑作ぶりに感動してしまっていた。

「なんや、おまえら、いつまで泣いてんねんな? そろそろ出えへんと掃除が始まってしもてるでえ」

品田に言われて顔をあげると、会場に残っているのは僕たちだけで、もうあちこちで掃除が始まっていた。

慌てて涙を拭いて外に廊下に出た僕は、急に立ち止まった岡村の背中に思いっきり激突した。
「どうしたんだよ。急に立ち止まるなよ」

「俺、ちょっとサインしてもらってくるよ」

岡村はそう言って廊下の奥の方へと走って行った。そこでは天城未優の即席サイン会が行なわれていた。

「なんやねん。学校に行ったらまた会えるやんけ」

馬鹿にしたように品田は言ったが、その顔は少しうらやましそうだ。

「でもまあ、学校でサインをもらうわけにはいかないし……」

「そりゃそうやな」

僕と品田は一瞬見つめ合い、先を争うようにして駆け出してサインを待つ列の最後尾に並んだ。

未優はひとりひとりに丁寧にサインをして、ちゃんと目を見てにっこり笑いながら握手に応じていた。

やっぱり学校で見るのとはだいぶ違う。天城未優は女優の顔をしていた。

数分待って、やっと僕の番になった。色紙なんて用意してなかったから、僕は会場でもらった『あゝ、小麦峠』のチラシを差し出したが、未優はイヤな顔ひとつせずにサインに応じてくれた。

「映画すごくよかったです。これからも頑張ってください」

僕の口からは、ごく自然にそんな言葉が出た。本当に映画に感動していたのだ。

ちょっと驚いたように僕を見て、未優はうれしそうに微笑んでくれた。

 しかし、その表情はすぐに、あれ? と不思議そうなものに変わった。彼女も僕の顔に見覚えがあったらしい。

「ひょっとして、明光じゃないですか?」

他の人には聞こえないように囁くように問い掛けられ、僕が小さくうなずくと、未優はさっきまでの笑顔とはほんの少し違う悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

ふたりで秘密を共有したような親しげな空気が漂った。

もう少し、なにか話したかったが、未優はすぐにスタッフに急かされるようにして出口へと向かってしまった。映画のプロモーションで大忙しなのだ。


でも、一瞬見せてくれた地の笑顔がとても印象的だった。明光学園に通っていてよかった、といまさらながら僕は思った。



映画の感動と天城未優と握手した感動の余韻をもう少し味わいたかった僕は、品田たちを誘い、人通りの多い道を避けて、劇場の横の大きな公園を横切ってぶらぶらと駅に向かった。

昼間のうちは家族連れで賑わう公園も、日が暮れるとなんだか寂しい雰囲気だ。女の子ひとりだったら、ちょっと不安になるんじゃないだろうか。

そんなことを考えていると、茂みの向こうの方から女性の叫び声のようなものが聞こえてきた。

「なんや? なんか事件か?」

耳を澄まして品田が言った。僕と岡村もビビりながら耳を澄ました。しかし、どうやらそれは悲鳴ではないようだ。

「……歌じゃないかな? 誰かが歌ってるんだよ」

ホッとしたように岡村が言った。

 そう言われれば、確かに音程をひとつひとつ確かめるように歌を歌っているようだ。

「なんや、こんなに夜遅くに公園で歌の練習か。あそこにもひとり、アイドルに憧れとる女の子がおるようやなあ。でも、まるで根性モノのドラマみたいやな」

品田が感心したような呆れたよう調子で言った。僕も同感だ。でも、その歌声は不思議と僕の心を打つのだった。

「もう行こうぜ。疲れたよ」

岡村が先に歩き始めた。でも、僕は少し気になっていた。

「ごめん、先に帰っといてよ」

「また、物好きやのう。ほな、先行っとくで。また明日な」

品田は大きく欠伸をして背中を向けると、頭の横でひらひらと手を振って駅に向かって歩き始めた。

歌声はまだ続いていた。ときどき音程を外すと、その部分を確認するように何度も何度も繰り返す。

僕の足は自然と声の聴こえてくる方へと向かっていた。

少し行くと、池に向かうようにして、ピンと背筋を伸ばし、お腹に手を添えるようにして歌っている少女の姿が見えた。

「あの娘……ひょっとして……」

その後ろ姿には見覚えがあった。でも、まさか彼女がこんなところで……。

僕は確かめようと、歌っている女の子の横に回り込んだ。

そのとき、不意に足元の土が崩れ、僕は悲鳴を上げながらズルズルと数メートルほど滑り落ちて、池の中に膝まで浸かってしまった。

「相原君……」

歌っていた少女は僕の名前を呼んだ。やっぱりそうだ、観月唯香だ。

二年生になってクラスが別々になってからは顔を合わせる機会も減ってしまっていて、どちらかというと同級生という関係よりも、アイドルと一ファンという関係の方がしっくりくるようになりつつあった。

「や、やあ……」
人気アイドルとばったり出くわして驚いている僕の口からは、そんな言葉しか出てこない。

「なにやってるのよ、そんなところで」

「池に落ちちゃったんだよ。ちょっと手を貸してくれないかな。足が埋まっちゃって動けないんだけど」

「まったく、世話が焼けるわね」

両足が池底に埋まって動けない僕の姿がおかしくてしかたがないといったように笑いながら、唯香は僕の手を引いてくれた。

手を引くためには、手を握らなければならない。自分からお願いしたくせに、ひんやりと冷たい唯香の手の感触が僕の心をときめかせた。

しかし、唯香はそんなことは全然気にしていないようで、気合を入れながら僕をズリズリと引っ張りあげてくれた。

「ああ、サンキュー、助かったよ」

ようやく池の中から脱出できた僕が泥にまみれた靴を気にしながら礼を言うと、唯香は一仕事終えたというふうに両手を腰に当てて大きく息を吐いた。

「で、こんなところで、なにしてたのよ?」

僕は岡村に誘われて『あゝ、小麦峠』の試写会に来たのだと言って、今度は反対に訊ねた。

「唯香さんこそ、どうしてこんなところで歌なんか歌ってたのさ?」

「ええ〜、それはさあ……」

唯香は照れ臭そうに頭を掻いた。マズイところ見られたな、という感じがヒシヒシと伝わってくる。

「すぐ近くのスタジオでドラマの収録をしてたんだけど、ちょっと時間が空いたもんだから練習してたのよ」

でも結局はごまかしたりしないで、ちゃんと答えてしまう。そこが唯香のいいところだ。

「下手くそだな、って思ってるんでしょ?」

僕が黙ってると、唯香はふくれてみせた。

「そ、そんなことないよ」

「いいのよ。自分が一番わかってるんだから。だけど、下手だから一生懸命練習してるの。もっと上手くなって、自分のイメージしている感情を全部歌で表現できるようになりたいの。そしたら、相原君もきっと私のファンになっちゃうわよ」

そう言って、唯香は悪戯っぽく笑った。

いまだって、もう僕は唯香さんのファンだよ、と答えようと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。

「あ、もう行かなきゃ。収録が始まっちゃう」

唯香は腕時計を見て大きく目を見開いた。表情がクルクル変わる。見ていて全然飽きない。

「うん、頑張って。応援してるよ」

僕の言葉にハッと顔をあげて、唯香は一瞬疑り深そうな顔をしてみせて、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「ありがと。頑張るね。じゃ、また学校で」

ああ、そうだ。僕はこの娘と同じ学校に通っているんだ。そう思うと、なんだか誇らしい気分だった。






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