羽左 最 終 話 羽右 <3年生>

 綾乃に会いたかった。

明光学園を卒業してしまうと、頻繁に綾乃と会うことができたあのころが本当に貴重なものだったのだとひしひしと感じる。

相変わらずテレビで綾乃を見ない日はないけど、それだけじゃやっぱり物足りない。そんなとき、まだ僕にとっての高校生活は終わっていない気がするのだった。

悶々としながら過ごしている僕は、自堕落な生活に身を堕としていき、昼夜逆転の生活を送っていた。

その日も、昼過ぎに起き出して、何気なく郵便受けを覗いてみると、手紙が一通入っていた。

可愛い猫のキャラクターが書かれた少女趣味な封筒だ。宛名は僕だが、差出人の名前がない。

不審に思いながらも家の中に持って入り、封を切ってみたら、中からコンサートのチケットが三枚出て来た。

瀬戸綾乃のコンサートのチケットだ。

綾乃はニューアルバムの発売を機に、卒業式の直後から全国ツアーに出ていた。同封されていたのは、そのツアーの最終日のチケットだった。

でも、いったい誰が送って来たのだろう。しかも三枚も。

……三枚?

これは僕と品田と岡村の三人で来いという意味だろうか。

そんなふうに考えてしまう自分がいやだったが、おそらくそうに違いない。

 他の人から見たら、僕たちは三人で1セットなんだろう。

綾乃のコンサートには行きたい。でも、品田と岡村と一緒、というのだけは避けたいんだけど……。



「ごっつい人やなあ」

会場の中をきょろきょろと見回しながら品田が大声を出した。

「これぜんぶ、綾乃ちゃんを見に来てるんやろ。ほんま、すっごいなあ」

「うん。確かに瀬戸さんのいまの人気は異常なぐらいだよな。今回の全国ツアーのチケットも発売と同時に売り切れちゃったんだからね。相原からチケットをもらわなきゃ、絶対に観に来られなかったはずさ。相原さまさまだよ」

「それにしても、和也のところにチケットを送って来たやつって、どこのどいつやろ? けったいなことしよるのお」

結局、このふたりと来ることになってしまった。

本当はひとりで来たかったんだけど、チケットは三枚あったわけだし、品田と岡村も綾乃に会いたいだろうと思うと、ひとり占めにするわけにはいかなかった。

「おお、ここや、ここや。むちゃくちゃステージ近いやないか」

品田が興奮した声を張り上げた。

確かに、前から五列目、しかも正面だ。こんなにいい席で綾乃のステージを観られるなんて……。

「この席だったら、いまの相場だとダフ屋は三十万ぐらい出すだろうね」

岡村が手帳をチェックしながら言った。

「さ、さ、三十万!」

相変わらず興奮しっぱなしの品田のことは無視して、僕はとりあえず席についた。

久しぶりに綾乃に会うことができると思っただけで緊張してくる。

 僕は膝の上に手を置いて、じっとそのときが来るのを待った。しかし、一向に始まる気配はない。

「まだ始まらないのかな?」

僕は時計を見た。開演予定時間はとっくに過ぎていた。

「これが作戦なんだよ。飯だって腹がすいているときに食べたほうがおいしいだろ。それと一緒さ。俺たちが瀬戸さんに会いたくてたまらなくなるのを待ってるんだ」

岡村の説明はもっともだった。でも、僕はもうすでに、綾乃に会いたくて会いたくて仕方がないんだけど……。

他の観客も同じ気持ちらしく、あちこちから綾乃コールが起こり始め、それは瞬く間に会場中にひろがった。

みんなが綾乃に会いたくて会いたくてたまらなくなったそのとき、客席を包んでいた柔らかい光が不意に消された。

そして、真っ暗になったステージに青い光がぼんやりと差し込んできた。まるで夜明けのようだ。
遠くの方から静かに響いてくる小鳥のさえずり。それがだんだんとハッキリしてくるに従って、ステージの光も徐々に強烈になっていった。

そして、いきなりステージのあちこちで花火が爆発し、それと同時にステージに強烈な光が降り注いだ。

すべての観客が一斉に立ち上がった。もちろん僕たちも。

瀬戸綾乃の新曲のイントロが流れ始めると、〈綾乃コール〉はさらに激しくなっていった。

そのとき、ステージの真ん中に作られた壁を突き破って綾乃が飛び出して来た。同時にステージのあちこちから再び火柱があがった。

その爆音に負けないぐらい、ファンの声援が迎え撃つ。耳がおかしくなりそうだ。

でも、耳を塞いでいる場合じゃない。僕は他の人たちに負けないぐらいの大声で声援を送った。

綾乃はこれ以上ないというほどうれしそうな顔をしながら、大きく手を振ってステージの端から端まで走りまわった。

ステージ用のメイクのせいかもしれないけど、ほんの数週間ぶりなのに、綾乃は少し大人っぽくなったように感じられた。

綾乃が歌い始めた。

それにファンの声援が被さる。会場は綾乃を中心に一体と化していた。

そこに生み出されるグルーブ感はいままで経験したこともないものだった。僕は感動のあまり足が震えてしまった。

こんな空間を生み出してしまう綾乃って……、こんな素晴らしい仕事をしている綾乃って……、やっぱりすごい。

感動のあまり、全身に鳥肌が立っていた。

 ステージは綾乃のいままでのヒット曲と、新しいアルバムの曲を織り混ぜて進行していった。

一気に数曲歌い終えた綾乃が、ステージの真ん中で深々と御辞儀をして、満足そうな顔をあげた。

綾乃の頬を汗が伝い、ライトを浴びてきらきら光っている。

マイクスタンドに向かい、綾乃はなにか言おうとしたが、もったいぶったように顔を背けた。荒い呼吸の音だけが増幅された。

あちこちから声援が飛んだ。

「みんな、今日はこんなに集まってくれて、どうもありがとう!」

声を振り絞るようにして綾乃が言った。その一言にどっと会場が沸いた。

 優しい笑みを浮かべながら会場を見回し、綾乃は今度は静かに話し始めた。

「私もなんとか高校を卒業することができました。仕事が忙しかったりして、あんまりちゃんと通うことはできなかったけど、それでも、いろんな友だちと出会えて、刺激を受けたり、心を癒されたりして……、本当に高校へ行ってよかったと思っています」

そこで綾乃は言葉を切った。なにか大切なことを言おうとしているのだということが伝わってくる。

会場はさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。みんな綾乃の言葉を一言たりとも聞き逃すまいと、じっとステージを見つめている。

岡村までがメモを取るのを忘れて食い入るように綾乃を見つめていた。

「でも……。でも、たったひとつだけ思い残すことがあって……。学校を卒業してから、その思いがどんどん大きくなってくるんです。私はそれが苦しくって……」

綾乃が声をつまらせて、それに呼応してあちこちから綾乃の名前を呼ぶ声が響いた。

綾乃は顔をあげて、強い意志を秘めた瞳を僕に向けた。……ように感じた。

「私……好きな人がいたんです」

綾乃の言葉に会場がどよめいた。

「その人は私が歌を止めようかと悩んでいたときに励ましてくれました。彼の存在があったから、私はまた歌うことができたんです。それがきっかけで、単なる好意から、私の彼に対する感情は愛に変わってしまったんです」

な……なにを……、綾乃はなにを言っているんだ? 僕は彼女の言葉の意味が理解できなかった。

だけど、綾乃は客席に向かって訴えかけるように話し続けた。

「でも、私にはその人に自分の気持ちを告白する勇気はありませんでした。結局、なにも伝えることもできないまま、私は高校を卒業してしまったのでした。そのことが心残りで……」

綾乃の声が微かに震えている。女の子が自分の気持ちを打ち明けるのは、とても勇気がいることに違いない。

「私はアイドルです」

綾乃は顔をあげて力強く言った。

「アイドルはファンのみなさんのものです。だからアイドルは恋愛をしてはいけないとも言われます。でも、私はアイドルである前にひとりの女の子なんです。だから……だから人を好きになる気持ちを抑さえることはできません。そして、私は思い切ってその人にチケットを送り、このコンサートに招待したんです」

客席が一斉にどよめき、みんなそれぞれまわりを見回した。この中に綾乃が愛した男がいるんだ。でも、チケットを送ったっていうことは……。

「お、おい」

品田が僕の腕を小突いた。

「ま、まさかそんなこと……。じょ、冗談だろ。そ、そんなことあるわけ……」

岡村がゆるゆると頭を振りながら、信じられないといったようにつぶやいた。

綾乃と僕の視線が重なった。僕は目を逸らすこともできずに、綾乃を見つめ続けた。綾乃も僕をじっと見つめた。僕たちはステージと客席で見つめ合った。

いつしか会場中の視線が僕に集まっていた。そして、綾乃は僕をまっすぐに見つめたまま言った。

「好きです。……和也君」

頭の中が真っ白になった。まわりのすべての物が消えて、僕の目の前には瀬戸綾乃だけが残った。

静かだった。余計なものはなにも聞こえない。綾乃は囁くように僕に言った。

「和也君、これはあなたのために作った曲です。聴いてください。『Love Songs』……」

 そして、綾乃は歌い始めた。


『Love Songs』

長い廊下から
聞こえるキミの声と
二人で歩いたあの通学路(みち)も
思い出に変わってゆく

会いたい衝動
こらえきれない

キミの声を聴きたいから
何度も電話を見つめていた
ハシャギあったあの季節の
そよ風を感じて

なんとなく
ふっと気がつくと
考えているキミのことを
思い出の向こうから聞こえる
2人で過ごした日々

穏やかな一日も
キミへの想いはつのるばかり
言えなかったこの気持ちを
歌に込めて
Love songs for you

いつまでもどこまでもね
私の側にいて欲しいの
この想いを両手いっぱいで受け止めて
Love songs for you




このページはIE4.0以上を推奨しています。
c 2000 hunex c 2000 D3PUBLISHER