羽左
第 1 話
羽右

講堂をびっしりと埋めた生徒たちを壇上から見下ろすようにして、校長先生がさっきから熱っぽくなにかを語っているが、そんなもの僕の耳には入ってこない。

今日から始まる新しい生活に、僕の心はドキドキしっぱなしだった。静かに誰かの話を聞くなんて気分じゃない。

僕は今日から、私立明光学園の生徒になるわけなんだけど、この明光学園には全国でも珍しい芸能コースなんていうものがあるので、在校生の中にもアイドルがたくさんいるという話だった。

なにもそのために明光学園を選んだわけではなかったが、やっぱり気にならないことはない。

 ひょっとしたら、アイドルと友だちになれるかもしれないのだ。ドキドキするのはあたりまえだろう。

そのとき、入り口付近からざわめきが起こった。何気なくそっちを見た僕は思わず声を漏らしてしまった。

「瀬戸綾乃だ……」

今年の始めにデビューしたばかりなのに、すでにアイドルとして人気絶頂にある瀬戸綾乃がそこにいたのだ。

トップアイドルである彼女の登場に、入学式の会場中にざわめきがひろがった。

僕は彼女の大ファンで、デビューCDはもちろん買ったし、部屋には特大のポスターを貼っている。

ひょっとしたら彼女も明光学園に来るかもしれないと思ってはいたが、こうやって現実になるとは思ってもみなかった。

どうやら綾乃は、仕事の都合で遅刻したらしく、申し訳なさそうに先生に頭を下げていたが、そこは芸能コースを設置している明光学園のことだから、たいした問題もない。

しかし、問題は僕のほうに起こった。先生が僕の隣の空席に綾乃を案内してきたのだ。なんという運命の悪戯、どうやら綾乃は僕と同じクラスらしい。

綾乃は僕の顔を見てペコリと頭を下げ、ニッコリ微笑みかけてくれた。
 テレビで見るとおりの笑顔……、いや、テレビで見る以上に可愛い笑顔だった。

放心状態の僕を尻目に、綾乃は椅子に腰掛け、壇上に視線を向けた。
 そのあとのことはよく覚えていない。僕はすっかり舞い上がってしまっていた。



式が終わると、綾乃は誰よりも先に会場をあとにした。
 僕は綾乃になにか話し掛けようと言葉を探していたのだが、結局そんな暇もなかった。

でも、なにをそんなに急いでいるんだろうと思って急いであとを追って講堂から外に出ると、事務所関係者らしい人の車に乗り込んで学校から出て行くのが見えた。

「トップアイドルって、大変なんだなあ」

すぐ後ろから声が聞こえて、僕はびっくりして振り返った。そこには僕と同じ新入生らしき眼鏡をかけた男が立っていた。

その男は素早く手帳になにかメモしてから、僕の方を向いて自己紹介した。

「俺、岡村幸雄、君と同じクラスみたいだね。よろしく」

「あ、……僕は相原和也、よろしく」

そう自己紹介を返して、僕はもう一回綾乃が消えた方向に視線を向けた。

さっきのことがまだ夢のように思える。瀬戸綾乃が僕に向かって微笑みかけてくれたのだ。しかも、僕たちは、これから一年間は同じクラスで過ごすんだ。

「瀬戸綾乃はいま、新しい主演ドラマの収録が始まったばっかりだから、スケジュールがかなりきついみたいだね。たぶん入学式だけは出たいって、ディレクターにお願いして現場を抜けて来たんじゃないかな。やっぱり偉いよなあ……」

訊ねもしないのに説明してくれる岡村の話を聞きながら、アイドルも大変なんだあ、とぼんやり考えていると、いきなり誰かが僕の背中にぶつかってきた。

「あッ……。こんなところでボーッとしてたらあぶないわよ」

自分からぶつかってきておいて、と思ってその娘の顔を見ると、どことなく見覚えがある。

 ショートカットのボーイッシュなルックスに、意志の強そうな大きな瞳。

誰だっけ……?

他の女子生徒と楽しげに談笑しながら校舎の方へ歩いて行くその娘の後ろ姿をぼんやりと見つめていると、さっき自己紹介しあったばかりの岡村幸雄がまたまた親切に解説してくれた。

「最近デビューしたばかりの観月唯香だな。活発でボーイッシュなキャラクターで人気急上昇中だけど、惜しむらくは、歌がイマイチなんだよなぁ……」

「……詳しいんだね」

「え? まあね」

岡村はちょっと照れ臭そうに頭を掻いてから、また手帳を開いてなにかを書き込み始めた。

「なにしてんの?」

「ん? これから三年間、アイドルの素顔を観察して、いずれは本にしてまとめようと思ってね。こんなに大勢のアイドルに囲まれて暮らせるなんてことは、これから先にもそうそうないだろうからさ」

「ま、……まあそうかもね」

そのとき、背後で黄色い歓声があがった。そっちを見ると、女子生徒に囲まれながら大股で歩いている男の姿があった。

長身で甘いマスク。髪を風になびかせながら大股で歩いているその男は、どうやら僕らと同じ新入生のようだが、全身から華やかなオーラを漂わせている。

大股で歩くものだから、取り巻きの女の子たちはついていけなくて、ひとりコケ、ふたりコケ、しているが、まったく意に介さない様子は、まるで大スターの風格だ。

「あいつも芸能人?」

「さあ……」

僕の質問に岡村は首を傾げた。どうやら女性アイドルにしか興味はないようだ。

「あれは宝条瞬ちゃうんか? ニキビの薬のCMですごい人気らしいやんけ。確かこの春からのドラマにも出演が決まってるとか聞いたで。父親が芸能プロダクションの社長とかで、ま、将来のスターの座は約束されてるっちゅう感じかな。なんか悔しいけど……」

そう解説してくれたのは、中学校時代からの僕の友人の品田浩二だった。ずっとつるんでいたからというわけでもないのだが、品田も明光学園に進学していた。

これから三年間、また一緒に過ごすことになるのかと思うと、なんだかうれしいような欝陶しいような……。

「ふ〜ん」

岡村は品田の知識に感心したように唸ったが、メモをとろうとはしなかった。わかりやすい男だ。僕はこの岡村という男に少し好意を持った。

こうして明光学園での僕の生活がスタートしたのだった。




このページはIE4.0以上を推奨しています。
c 2000 hunex c 2000 D3PUBLISHER